コラム:ストラヴィンスキーのルーツをたどる――マリインスキー劇場での思い出
イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)はバレエ音楽をはじめとする劇音楽の魅力によって広く知られる作曲家です。
20世紀に活躍したロシア人作曲家の宿命として彼もまた、二つの世界大戦を機に選択を迫られました。亡命か政府への恭順、二択のうち前者を選んだ彼は安定した生活を求め、スイスを経てアメリカへと二度にわたる移住を経験することになります。今回の定期演奏会で取り上げられる《カルタ遊び》(1936)はアメリカ亡命の少し前にアメリカ・バレエ団から委嘱され、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演された作品です。亡命後のストラヴィンスキーは共に活動してきたロシア・バレエ団と道を異にして、新たな舞台作品の形を目指してゆきますが、ここでは原点に立ち返り、出生地ペテルブルクにあるマリインスキー劇場に目を向けてみましょう。そこには彼の劇音楽のルーツが眠っているからです。
ストラヴィンスキー家は、イーゴリの音楽の才能を培うにじゅうぶんな環境を備えていました。父フョードルはキエフ歌劇場で名をあげ、マリインスキー歌劇場で第一バス歌手を務めていました。オペラのスコアをはじめ数千冊を超える彼の蔵書は、幼い息子を魅了したようです。
ただ、イーゴリは存命中の父と決して折り合いが良くありませんでした。父の友人が来訪し演奏を楽しんでいても、離れた部屋で聴くのみだったほどです。それでも彼は間違いなく、イーゴリの音楽家としての道を開いた一人の人物といえるでしょう。マリインスキー歌劇場の練習見学の許可を得ることができたのは父のツテがあったからこそです。学生時代のイーゴリは毎日のように劇場に通い、そこで多くのことを吸収していきました。
それに加えて、初めての観劇もイーゴリに大きな影響を与えたのではないでしょうか。彼がマリインスキー歌劇場に初めて赴いたのは11歳のことでした。すでにピアノで演奏して親しんでいたミハイル・グリンカ(1804-1857)のオペラ《皇帝に捧げし命》(1835-1836)、そして何より初めて耳にする生のオーケストラは、少年にどれだけの感動をもたらしたことでしょう。その際に、指揮者を務めたピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)の姿を目にしたことも、彼は後年になって回顧しています。ロビーでも見かけたという先達の背中に、音楽家としての輝かしい自分の未来を見たのかもしれません。
文責 ガードエミリ(音楽学専攻三回生)
参考文献
・ヴォルグガング・デームリング『大作曲家ストラヴィンスキー』長木誠司訳 音楽之友社、1994年
・船山隆『ストラヴィンスキー――二十世紀音楽の鏡像』音楽之友社、1985年
・ヴォルグガング・デームリング『大作曲家ストラヴィンスキー』長木誠司訳 音楽之友社、1994年
・船山隆『ストラヴィンスキー――二十世紀音楽の鏡像』音楽之友社、1985年
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