コラム:「知られざる作曲家」ヴォーン・ウィリアムズ
近代イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)をご存じだろうか。
音楽にそれなりに精通している人でも、あまりピンとくる名前ではないかもしれない。というのも、ヴォーン・ウィリアムズが作曲家としてデビューしたのはやや遅く、他の音楽家にありがちなドラマティックなエピソードや、華々しい活躍などにも乏しいのである。また、その生涯が二つの世界大戦と重なっていることも理由の一つかもしれない。ここでは、そんな「知られざる作曲家」の生涯の一コマを紹介していきたい。
ヴォーン・ウィリアムズは、叔母であるゾフィーに6歳からピアノと作曲の手ほどきを受けた。また、7歳からはヴァイオリンも弾き始めており、幼い頃から音楽の英才教育を受けていたようだ。成長してもそのまま音楽を続け、王立音楽学校に入学してからは作曲家のグスターヴ・ホルスト(1874~1934)と友好を深めたりなどした。彼らは互いに作品を批評し合い、切磋琢磨する関係だったという。
30歳になって初めて歌曲《リンデン・リー》を出版するが、それから約10年後には第一次世界大戦が勃発したため、戦地に赴くこととなる。戦場で砲兵守備隊の少尉に任命された彼は、長い間大砲の爆音に晒されたことで、のちに難聴を患ってしまう。
だが、この戦争はヴォーン・ウィリアムズに悪いことだけをもたらしたわけではない。ここでの体験はのちの創作にも生かされたからである。戦後作曲された《田園交響曲》(1922)に登場するトランペットの旋律は、戦場のラッパ吹きが何度も音を外して吹いていたことを思い出しながら書かれたものと言われている。
また、彼の曲には映画音楽として使われているものも多く、知らず知らずのうちに聴いているものがあるかもしれない。その一つに、映画『南極のスコット』(1948)の挿入曲がある。この映画は、南極大陸の制覇を目指すロバート・スコット一行の不幸な出来事を描いたドキュメンタリーであるが、その音楽を担当したのがヴォーン・ウィリアムズなのだ。ちなみに、この時の音楽を素材にして新たに作曲された《南極交響曲》*(1953)という、彼の七番目の交響曲がある。常に緊迫感を保ちつつも巧みな緩急がつけられているこの交響曲は、南極の大自然を感じることができる名作である。
*この交響曲は正式名称が《南極交響曲》であり、《交響曲第七番「南極」》というわけではない。
文責:久行萌梨実(音楽学専攻一回生)
参考文献
「明暗を分けた運命の決断 スコット極点隊 全滅へのカウントダウン」
https://www.japanjournals.com/feature/survivor/1735-robert-f-scott.html
(最終閲覧日;2020年11月27日)
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