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4回生インタビュー Vol.3

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  声楽専攻 高田 瑞希さん  人の勧めのままに歌を始め、京芸への入学を決めました。  4年を経て、ただ好きだった歌は私の生活の中心へと変わりました。 真剣に取り組むと楽しいことばかりではなく悩み葛藤することが多くなりますが、それさえも素敵だと思えるほど歌に魅了されています。  学部卒業が近づき将来を考えると、歌を仕事にする!と強く思う反面、容易に想像できるその道の狭さに正直不安を覚えます。ですが自分の可能性を信じて、ただただ誠実に音楽と向き合い、良い音楽を届けられる歌い手になりたいです。 音楽学専攻 成瀬 はつみさん  京都市立芸術大学の音楽学専攻に入学したことで、クラシック音楽はもちろん、民族音楽、日本の伝統音楽、フルクサス、実験音楽などさまざまな音楽分野に触れ、また演奏する機会を得ることができました。それまでの人生において関わってこなかった様々な音楽や文化、考え方に触れることで、自分の視野が広がったなと実感しています。また、専攻の垣根を越えた定期演奏会に際する冊子の作成、読書会の設立、卒業論文に向けての研究中間発表「Respolish」の開催など、この4年間で新たな取り組みに挑戦できたことは、私にとって大きな財産になりました。  どんな活動をする時も、周りの人たちに助けられたなと感じています。岩手県出身の私にとって京都という地は縁もゆかりもありませんでしたが、気がついたらたくさんの「縁」ができていました。私1人では成し得なかったことも、周りの人々の支えによってやり遂げることができました。一緒に学んできた同級生、指導してくださった先生方はじめ、これまで関わって下さった多くの方々に感謝しています。  来年度からは日本音楽研究専攻に畑を移しますが、いつまでも挑戦する気持ちと感謝を忘れず、貪欲に学んでいきたいと思います。 音楽学専攻 水上 純奈さん  4回生の修了を目の前に控えた今、私が思うのは「この学校に入って良かった」ということです。この4年間で経験した多くの出会いが、私にとっての宝物です。  皆さんと一緒に過ごす時間や、皆さんが演奏する音楽が大好きでした。私は音楽学専攻なので演奏会では客席にいることがほどんどでした。どんな演奏会の音楽でも鮮明に思い出せるぐらい心に残っています。毎回とても胸が熱くなりましたし、刺激をもらっていま...

4回生インタビュー Vol.2

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トロンボーン専攻 西村 菜月さん  素晴らしい先生方や同期、先輩後輩に恵まれ、本当に充実した4年間でした。全く後悔のない時間が過ごせたことを嬉しく思います。何年経っても同じ事が言えるよう、どんな状況でも前を向いて頑張っていきます! トランペット専攻 柏原 朱さん  自分自身で呆れるほどのゆっくりなペースで、4年間成長してきました。失敗や苦い経験も沢山したけれど、いつかそれも笑い話にできるように、これからも精進していきたいです。 ホルン専攻 江口 倭世さん  全ての出会いに感謝しています。 これからも一生懸命生きていきます!! 打楽器専攻 丹治 樹さん  刺激的な4年間を感慨深く思うのと同時に、まだまだ1合目だなぁと不安半分期待半分で気を引き締めております…と書いたところで、どこまで登っても頂上には着かないような気もしてきましたが、それならそれで楽しく登っていこうとおもいます。わーーい!!!! フルート専攻 田平 莉子さん  京芸生活は素晴らしい方々に恵まれ、本当に楽しく、忙しく、充実していています。凄まじいスピードで卒業が近づいており、少し恐怖ですが…卒業しても、何事にも真摯に取り組み、がむしゃらに頑張るのみ!逞しく生きたいです。 ホルン専攻 築山 みか さん  たくさんの方に支えてもらった4年間でした。 私にとって大きな存在が仲間でした。 卒業後、一緒に過ごした仲間とバラバラになってしまいますが、どこかでまた新たに頑張っていると思うと、自然と力が湧きます。  上手くなりたい、成長したいと思えば思うほど悩み苦しみましたが、常に生活の中心には音楽がありました。これからも精進致します!

4回生インタビュー Vol.1

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  世界的に大変な状況である中でも、学部生活最後の一年を大切に過ごされてきた 4 回生の先輩方。そんな先輩方の背中はいつも輝いていました。「卒業」という大きな節目を前に、何を想い、何を感じているのでしょうか。全 3 回に分けてお届けします。 ピアノ専攻 磨 椋平さん  正直この4年間の事を思い出すと「やり直したい」という気持ちでいっぱいになります。  普段から「良い音楽とは何なのか」「自分はどんな音楽をすべきなのか」そんな事を考えながら大学生活を送っていました。良い演奏を聴いて真似しようとしても自分には合わなかったり、「これが自分の音楽や!」と気合いを入れて演奏すれば「それは正しくない」とご指摘をいただいたり…4年間、半分以上迷走していたと言っても過言ではないでしょう。考える時間練習してた方が3倍は上手くなっていた気がします(笑)  ですが在学中2人の先生の門下でお世話になり、講習会で多くの先生方のレッスンを受ける中、多くの知識や技術を学び、様々な考え方と出会い、そういった経験が少しずつ積み重なって今やっと少しずつ自分の道が見えてきました。  人と比べればとても遅いですが、ここからが僕のスタートラインだと思っています。頑張ります! ピアノ専攻 平田 奈夏子さん  素晴らしい先生、友人、先輩、後輩など沢山の出会いがあり、様々な経験をし、本当に充実した4年間でした。 ここからがスタートラインだと思っています。  ピアノを弾くこと、音楽に向き合うことは楽しいことだけではなく悩み苦しむことも多くあります。  今後も沢山の壁にぶつかることがあると思いますが、ピアノが好き、音楽が好きという思いを胸に壁を乗り越え、成長し続けたいです。  京芸で学んだことを糧に、これからも自分らしく前向きに走っていきたいと思います!! ピアノ専攻 玉眞 あかりさん  京芸での4年間は、音楽の楽しさだけでなくそこに至るまでの大変さ、それを超える喜びや感動などたくさんの思いが詰まった宝物のような時間でした。  これから私は京芸で経験してきた事を糧に、それをもっと子どもたちに伝えていく仕事がしたいと思っています。  最後に、この4年間お世話になった友達や先生方には本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。 ピアノ専攻 東坂 萌里さん Everyth...

コラム:ヴォーン・ウィリアムズゆかりの場所、カンタベリー大聖堂

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イングランドのケント州に位置するカンタベリーの地には、英国国教会の総本山であるカンタベリー大聖堂が鎮座している。こんにちでは世界文化遺産にも登録され、観光地として名高いこの大聖堂は、実はヴォーン・ウィリアムズともゆかりが深い。 1928 年に、当時のカンタベリー大主教のために《テ・デウム・ト長調》を作曲しているのである。ここでは、そんなカンタベリー大聖堂の歴史を少し紐解いてみよう。 カンタベリー大聖堂の歴史は古く、 1130 年に建立された後、幾度か改装や改築がなされている。現在の大聖堂は、全長 160 メートル、幅 47 メートルで、中でも 1503 年に増築された「ベル・ハリー・タワー」は、高さ 70 メートル以上もあり、圧巻の存在感を放っている。この聳え立つような先端の尖った塔と窓は、「垂直式」と呼ばれるイギリス式ゴシック建築の象徴だ。   カンタベリー大聖堂の外観。 ここでの有名なエピソードと言えば、時の権力者であるヘンリー二世 ( 在位 1154‐1189) と政教分離を巡って対立していた当時のカンタベリー大司教トマス・ベケット (1118‐1170) が 1170 年に暗殺された事件であろう。この死は殉教として扱われ、トマスが聖人に列せられたことから、現在でもこの場所は聖地として毎年多くの巡礼者が訪れている。 「カンタベリー」と聞くと、 14 世紀にイングランドで書かれたジェフリー・チョーサー (1343 頃 ‐1400) の『カンタベリー物語』を思い出す人もいるかもしれない。この物語集は、カンタベリー巡礼へ向かう主人公が、道中泊まった宿で出会った人たちと、自分が最も面白いと思う物語を語り合い、その優劣を競い合いながら旅を共にするものである。巡礼へ向かう様々な身分や階級の人たちが順々に語っていく様子からは、当時のイングランドの雰囲気が感じられて非常に興味深い。 こうした古くから伝わるエピソードを知ると、神聖で近寄りがたく感じられるかもしれないが、実は現代のわたしたち日本人にとっても身近な存在とも言える。このカンタベリー大聖堂は、映画『ハリー・ポッター』シリーズの撮影地となっているのだ。 ヴォーン・ウィリアムズの《テ・デウム》を聴いたり、『カンタベリー物語』を読んだり、『ハリー・ポッター』を鑑賞したりしながら遠くて近いカンタベリー大聖堂に思いをはせ...

コラム:「知られざる作曲家」ヴォーン・ウィリアムズ

近代イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ (1872 ~ 1958) をご存じだろうか。 音楽にそれなりに精通している人でも、あまりピンとくる名前ではないかもしれない。というのも、ヴォーン・ウィリアムズが作曲家としてデビューしたのはやや遅く、他の音楽家にありがちなドラマティックなエピソードや、華々しい活躍などにも乏しいのである。また、その生涯が二つの世界大戦と重なっていることも理由の一つかもしれない。ここでは、そんな「知られざる作曲家」の生涯の一コマを紹介していきたい。 ヴォーン・ウィリアムズは、叔母であるゾフィーに 6 歳からピアノと作曲の手ほどきを受けた。また、7歳からはヴァイオリンも弾き始めており、幼い頃から音楽の英才教育を受けていたようだ。成長してもそのまま音楽を続け、王立音楽学校に入学してからは作曲家のグスターヴ・ホルスト (1874 ~ 1934) と友好を深めたりなどした。彼らは互いに作品を批評し合い、切磋琢磨する関係だったという。 30 歳になって初めて歌曲《リンデン・リー》を出版するが、それから約 10 年後には第一次世界大戦が勃発したため、戦地に赴くこととなる。戦場で砲兵守備隊の少尉に任命された彼は、長い間大砲の爆音に晒されたことで、のちに難聴を患ってしまう。 だが、この戦争はヴォーン・ウィリアムズに悪いことだけをもたらしたわけではない。ここでの体験はのちの創作にも生かされたからである。戦後作曲された《田園交響曲》 (1922) に登場するトランペットの旋律は、戦場のラッパ吹きが何度も音を外して吹いていたことを思い出しながら書かれたものと言われている。 また、彼の曲には映画音楽として使われているものも多く、知らず知らずのうちに聴いているものがあるかもしれない。その一つに、映画『南極のスコット』 (1948) の挿入曲がある。この映画は、南極大陸の制覇を目指すロバート・スコット一行の不幸な出来事を描いたドキュメンタリーであるが、その音楽を担当したのがヴォーン・ウィリアムズなのだ。ちなみに、この時の音楽を素材にして新たに作曲された《南極交響曲》 *(1953) という、彼の七番目の交響曲がある。常に緊迫感を保ちつつも巧みな緩急がつけられているこの交響曲は、南極の大自然を感じることができる名作である。 * この交響曲は正式名称が《南極交響曲》...

1回生インタビュー

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 新型コロナウイルスの影響で大学生活は大きな影響を受け、授業やレッスンをはじめ、演奏の機会も激減してしまいました。 例年通りであれば前期・後期と二回のオーケストラ定期演奏会が行われますが、今年度は後期の一回のみです。 しかし、このような状況の中でも前向きに、そしてひたむきに学んでいる1回生の声をお届けしたいと思います。 インタビューの内容は、「初の定期演奏会を迎えるにあたっての心境」です。 今回は弦楽専攻と管打楽専攻から計12名の皆さんにお集まりいただきました。 京芸生の「生の声」をどうぞご覧ください。 チェロ専攻 井上 帆乃香さん  指揮の下野先生が仰っていましたが、この状況でしか演奏出来ないような曲に触れることが出来るのでいいなと思っています。 ヴァイオリン専攻 山田 円香さん  春の祭典など曲目の変更があって、練習する時間が足りず分からないことも多かったです。自粛期間にアンサンブルをしていなかったので、オーケストラや弦楽合奏の授業で改めて感じることがありました。 ヴァイオリン専攻 田中 志和さん  今までよりもオーケストラの曲数が多くて正直大変な面もあります。初めて演奏する曲では緊張を感じますし、常に隣は上回生の方なので刺激をもらいながら勉強しています。 ヴァイオリン専攻 柏木 夢乃さん  大学に入ってから人と接する機会が少なかったのですが、オーケストラの授業の際は学年や専攻に関係なくたくさんの人と話すことが出来て楽しいです。 学校に来るたびに誰かと「はじめまして」が交わされたそうです。始終笑顔でお話してくださり、とても素敵な時間でした。 (左から小井圡さん、玉木さん、松本さん、イヴァイロさん) コントラバス専攻 小井圡 倫さん  一人で練習をしているとやらなければ、となってしまいがちですが、オーケストラのような大人数で合奏をすると楽しいなと思います。 ヴァイオリン専攻 玉木 龍馬さん  大学に入学して、ようやくこのオーケストラが出来る。それがとても嬉しかったです。 ファゴット専攻 松本 拓也さん  普通科高校の出身なので、音楽に溢れた毎日を送れるようになり充実しています。 打楽器専攻 コイチェフ イヴァイロさん  僕は純粋にオーケストラが好きです...

コラム:初期トーキー時代の映画音楽の世界

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ (1872-1958)は、⻄洋芸術⾳楽だけでなく、映画⾳楽の分野においても功績を残している。例えば、今回演奏される《トマス・タリスの主題による幻想曲》は、のちに映画『マスター・アンド・コマンダー』(2003)や『パッション』(2004)に使われることになる。さらに、1940年には彼⾃⾝が映画『潜⽔艦轟沈す』のために作曲している。ヴォーン・ウィリアムズが後世の映画⾳楽作曲家たちへ及ぼした影響は⼤きく、特に映画『猿の惑星』(1968)や映画『スタートレック』(1979)などで知られる映画⾳楽の巨匠、ジェリー・ゴールドスミス(1929-2004)にはその色が濃い。     では、ヴォーン・ウィリアムズが生きていた時代の映画音楽はどのようなものだったのだろうか。初期トーキー映画音楽の世界を少し覗いてみよう。     1927年に世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』(注)が公開されることで映画⾳楽の歴史は始まったが、映像と⾳楽を同期させるという⼿法を確⽴させたのは主にマックス・スタイナー(1888-1971)、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)、アルフレッド・ニューマン(1900-1970)という3⼈の映画⾳楽の作曲家たちだ。そのうちスタイナーとコルンゴルトは、ともにオーストリアに⽣まれ、⻄洋芸術⾳楽の伝統的な作曲技法をウィーンで専⾨的に習得した上で、アメリカへ渡りハリウッドに所属した。そういった背景もあり、結果としてハリウッド映画の音楽に西洋芸術音楽の技法が数多く持ち込まれることとなったのである。     例えばスタイナーは、リヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)が⾃⾝の楽劇の中で⽤いた「ライトモティーフ」という技法を、映画『キングコング』(1933)で初めて映画⾳楽に持ち込んだ。「モティーフ」とは、メロディーやリズムを構成する音楽の最小単位を意味するが、「ライトモティーフ」とはドラマの中である⼈物、場⾯、想念などを象徴するために用いられるモティーフのことである。ヴァーグナーは、同じモティーフを何度も繰り返し用いることで、それに特別な意味を与えていったのである。     スタイナーの⼿法を『キングコング』を例として具体的に⾒てい...